藤田 祥
備前の土の美しさをそのまま表現するのは、一朝一夕にはいかない。 土選びから妥協せず、手間暇をかけて土作りを行い その土に合った形や景色を追求する。 結果として、従来の備前の概念を覆すことがあっても 本質に向き合い続ける。 伝統的な「用の美」に加え、枠に囚われない創造的な備前焼を生み出したいと考えている。
PROFILE
略歴
倉敷美観地区 陶慶堂本店にて初個展
2ヶ月間、アメリカを横断(サンフランシスコ~ニューヨーク)し、各地の陶芸家と交流を深め、アイオワ州にて登り窯と穴窯を焼成
The Ceramics Center(アイオワ)にて「Bizen in Iowa」展
Sara Japanese Pottery(ニューヨーク)にて4人展
裏千家 ニューヨーク出張所にて4人展
Ippodo Gallery(ニューヨーク)にて「茶盌」展
ギャラリー錠堂蒔光(台北)にて備前焼陶友会青年部展、以後常設展示
夢幻庵 銀座店にて個展、以後常設展示
逸鮮棧(台北)にて3人展(以後ʼ19年)
パークハイアット(パリ)ヴァンドーム内 Pur' - Jean-François Rouquette(1つ星レストラン)へ
オーダーメイドで三段丸重を納める
備前市伊部にて BIZEN gallery Kai を開店
東京・金沢・名古屋・台北・フィリピンのアートフェアに出品
国内の百貨店・ギャラリーにて個展・グループ展多数
「-新たな表現への挑戦- 備前 陶五人展」(以降ʼ22年・ʼ23年)
その他、東京・金沢・名古屋・台北・フィリピンのアートフェアに出品
国内の百貨店・ギャラリーにて個展・グループ展多数
所属団体
備前焼陶友会
受賞歴
- 岡山県美術展 入選
- 日本伝統工芸展中国支部展 入選
- 他に、米子高島屋・福屋八丁堀本店にて 3 人展、ギャラリーにて個展多数。
私の備前焼の定義
備前焼は、岡山県備前地域周辺の良質の土や鉱物を用い、1200 ~ 1300 度の高温で焼成する焼き物と定義しています。
白備前について
白備前について
江戸時代中期、時代が有田焼や瀬戸焼などの釉薬をかけた器に傾き、土味を押し出した備前焼は不振となった。そのため備前でも白い器を制作しようと、宝永 7 年(1710 年)、岡山藩の命により、木村興楽園の初代長十郎が磁器制作研究のため肥前へ赴き技術を学び、正徳 2 年(1712 年)には白備前の値段が設定され、岡山藩以外への販売を禁止する申し渡しが出されたとの記述が残っている。
白土をそのまま焼成、もしくは釉薬をかけて焼成することで生まれた白備前は、かつての備前焼のイメージとは真逆で、特異な存在であり「幻の備前焼」と呼ばれることもある。採取量が少ない白土を用いるため、現存する作品自体が大変貴重で、現在では白備前を作る作家はごく少数である。白備前を生み出すには、鉄分の少ない、白土が欠かせない。しかし、手に入れるのは容易ではない。
そんな折、備前市三石にある鉱山の、地下 156m から掘り出された純度の高い陶石に触れる機会を得た。土橋鉱山という地元企業が近年になってようやく掘り当てた、白色軟質の鉱石だ。光も電波も届かない深い地底で、現代の高度な採掘技術があってこそ、こうして手に入れることができたのだ。
私は、真っ白なその石の粉末を練り上げ、一つひとつ丁寧に成形し、無釉焼き締めにした。すると、光を照射すると柔らかく透けて見えるほど高い透過性を持ち、まるで海上に鎮座する氷山のように、凛とした美しさを持った白備前が生まれた。自然の中で毎秒形を変える儚さと、険しく切り立った力強くさを併せ持つ氷山を意し、成形。採掘され尽くしたかに思えた備前土であったが、今なおさらなる可能性を秘めているのだと、土の豊かさに感服した。
江戸時代、起死回生を図った備前焼陶工と岡山藩が腐らず、諦めず、心血注いだ白備前。明治~昭和を駆け抜けた細工物の名手、三村陶景が自身の作品で意欲的に用いた白備前。先人たちの”白”へ敬意を払いつつ、今、新たな形で蘇らせようとしている。